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楽法寺だより2月号

如月やほのかの香る梅一輪

 新しい年を迎えて、早一ヶ月が過ぎ節分・立春の季節を迎えました。
まだまだ、厳しい寒さが続いていきますが、この頃から次第に気温は
上昇に向かい、木々も芽吹きはじめ、どことなく春の気配を感じる
時期でもあります。
 旧暦2月の異称は「如月(きさらぎ)」といいますが、文献に初めて
現れるのが奈良時代の720年成立の日本書紀で2月の漢字に
キサラギと片仮名で訓が施されているそうです。

 キサラギの由来については諸説があり、2月はまだ寒さが
残っているので、衣(きぬ)を更(さら)に重ね着するので「衣更着(きさらぎ)」と
なったという説もあり、草木の芽の張り出す月だから
「草木張月(くさきはりづき)」からきさらぎとなった説、また旧暦2月は
燕(つばめ)がくる時候であるといわれており、昨年の旧暦8月に
雁(かり)がきて、更に燕がやってくる月、すなわち「来更来(きさらぎ)」が
語源だとする説等、様々な説があるそうですが、やはり、日本独特の
豊かな季節感から生じたものなのでしょう。

 現在の私たちが忘れかけているものを教え導いてくださるものが、
それぞれの言葉にありそうですね。

節分や家ぬちかがやく夜半の月

 節分の豆まきの始まりは、そもそも”追儺(ついな)”あるいは 
”鬼やらい”と呼ばれていた儀式で、中国から伝わったとされています。
日本では、慶雲3年(706)諸国に疫病が流行し多くの民が命を
落としました。このため土牛を作って追儺の行事が行われたのが
はじめと言われています。
 また、鬼を追い払う鬼やらいの行事は、室町時代
応永年間(1394~1427)のころ疫鬼(えきき)=疫病神(やくびょうがみ)を
追い払う行事として宮中で行なわれていました。
 ところが江戸時代になって宮中で廃止になり、反対に庶民の間で広がり、
現在では、豆まきが 節分の夜の中心行事として神社ばかりでなく、
仏教寺院でも広く行なわれるようになったのです。

鬼は外!福は内!

 豆まきの言葉は普通は「鬼は外!福は内!」ですが、
各地、各所によって大きく違います。
 たとえば、東京の亀戸天神(かめいどてんじん)では、
「鬼は外!」だけを入って、「福は内!」は言いません。
お祓(はら)いといったものは、よくないことだけを身の回りから
追放すればいいのであって、悪を追放した上になおかつ福を招こう
というのはあまりにも虫がよすぎるという考え方です。
 その反対が、千葉県の成田山新勝寺(しんしょうじ)=真言宗で、
ここでは「福は内!」だけを連呼して、「鬼は外!」は言いません。
仏教的には、悪事をする鬼はいなくて、みんな福なんだという
考えに立脚(りっきゃく)しています。
 また、奈良県の吉野山にある金峯山寺蔵王堂(ざおうどう)では、
「福は内!鬼も内!」と呼び、東京・雑司が谷(ぞうしがや)の
鬼子母神(きしぼじん)では、「鬼は内! 福は内!」と連呼します。
鬼を集めてお経の力をもって改心させるところから鬼を積極的に
招くのです。
 さて、あなたはどの言葉を選びますか?

2月15日 釈尊涅槃会

 紀元前383年の2月15日は釈尊が入滅した涅槃の日です。
釈尊は悟りを得られてからも一カ所にとどまることなく、80歳で入滅されるまで
説法の旅を続けられておられましたが、クシナガラ城のバッダイ河のほとり
沙羅双樹の中で、頭を北に向け、お顔を西にして横になられました。
 真夜中、悲しんでいる弟子や多くの生きとし生けるものに最後の教えを
説かれました。

「いたずらに悲しんではならない。世は皆無常である。生あるものは必ず滅する。
私の肉体は滅びても、説いてきた教えは残る。これから頼るべきものは、
よく調えられた自分自身であり、私が説いた教えである。怠らずに励むがよい。」
と言い残され、そして無常なる命であることを、身をもって示されました。
 そのとき、四方の沙羅双樹は悲しみのあまり、真っ白に変じて散ったと
伝えられています。

 ねがわくは はなのしたにて はるしなん
        そのきさらぎの もちづきのころ  西行

涅槃会や花も涙をそゝぐやと

 お釈迦様が涅槃に入られる時の姿を描いたものを涅槃図といいます。
 この絵像のなかで、立ち並ぶ沙羅樹の半分が枯れているのは、
釈尊の入滅に樹も悲しみ殉じたものだといわれます。また半分の
沙羅樹が枯れずに青々としているのは、母、摩耶夫人が兜率天(天上界)
から雲に乗って回生の霊薬をもたらされたが、間に合わないので従者に
投下させられた時、樹に引っかかり、
その霊気を感じて蘇生したためといわれています。

 沙羅双樹の半分枯れ、半分蘇生した姿を「四枯四栄」といい、
右側の四本は幹・葉ともに黄色または白(鶴林ともいう)で、
枯れる姿をあらわし、左側の四本は、幹・葉とも緑色で青々とした
生気を表しています。葬式で紙華を供えるのは、この「四枯四栄」を
表したものです。
 中央に宝床を設け、お釈迦さまが右脇を下にして臥され、それを取りまく
弟子や菩薩、諸天善神から鳥獣昆虫に至るまで、二株に欺き悲しむ様子が
描かれていますが、これは三界一切の生き物を表したもので、仏教が
人間だけを救いの対象としていないところがよく分かります。

旧山門ケヤキ材腕輪念珠申込受付中

 旧山門のケヤキ材腕輪念珠申込は平成24年2月末日頃までを目安に、
各地区総代・役員並びに当寺までお申込下さい。
 戦国時代(赤松山浄正寺時代)約500年前に小谷城の城門として
使用されていたものと伝えられている歴史あるケヤキ材の腕輪念珠です。
2種類用意しています
 本堂に見本がありますのでご覧下さい。

 

  山門ケヤキ材念珠   2,000円

  心経入ケヤキ材念珠  3,500円

子や孫の健やかな成長を祈って

 この度新しい山門が完成し、鐘楼堂の移転修復が無事終了し、
皆様と共にお祝いの式典を勤めていきます。
このよき日に花を添えていただく稚児を募集いたします。
ぜひこの機会にご参加をいただき、み仏の知恵と慈悲にあやかり、
かわいいお子様方がますますご無事に賢く優しい子に御成長されんことを
祈念致します。
 健全成長とご守護を祈願し、一生の記念に残るお稚児さんですので
多くの方々の参加をお待ち申し上げています。                 

稚児参加料金  金3、500円

応募資格者  0歳~10歳以下
檀信徒にかかわらずどなたでもご参加できます
のでご親戚・ご友人にもお声をかけて下さい。

第2次募集申し込み締切日 平成24年2月28日

  
詳細並びお申込の場合は、安永山楽法寺-山門・鐘楼堂落慶法要
並び大祖師講法要に向けて-
の冊子の申込用紙にご記入の上
各地区総代・役員並びに当寺までお申込下さい。

 かわいい子供達の稚児行列に始まり、山門前で落慶式・鐘楼堂の前で
開眼供養を行い、参加の稚児や皆様と一緒に鐘の撞き初めをします。
 法要後には餅まきも予定しています。一生のうち三度稚児に参加すれば
幸せになると言われています。是非この機会にご参加下さい。