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楽法寺だより6月号

ささやくは芒種の庭の番(つがひ)鳩

 

走り梅雨に濡れた緑が いっそう深まる季節となりました。
太陽の黄道上の位置によって季節を区分した二十四節気では、
6月6日から7日頃を「芒種(ぼうしゅ)」と呼びます。
芒種とは稲や麦などの芒(のぎ)のある穀物の種のことで、
ここから入梅前の田植えの時期を示しているとおり、
家々の周囲にある田畑ではあちらこちらで、田植え作業が始まっています。
農家の皆様のご苦労をいただき秋には新米を頂くことが出来そうです。

 

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古来よりお米は日本人にとって非常に大切な穀物でした。
そのため様々な儀式や祭礼に使われていたことが分かっています。
つまりお米とは何か神聖なもの・神秘的な力が「こめられた」存在であり、
そこから転じて「こめ」と呼ばれるようになったと考えられています。
また、「米」という字は分解すると「八」と「十」と「八」に分けることができます。
つまりは「八十八」。このことからお米づくりのためには八十八もの手順や
手間がかかると言われてきました。
八十八行程を経て作られる、八十八の神が宿る、また八十八人の働きを経て、
はじめて米は食卓にのぼるのであるから、食事のたび感謝反省し頂くものでもあります。

 

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私も、子供の頃にご飯一粒の中には三宝の菩薩様がおられるので、
食べ残してはいけない。食べこぼしたら拾いなさいとよく教えられました。

 

 

杓底(しゃくてい)の一残水 流れを汲(く)む千億人

 

曹洞宗の開祖、道元禅師が開かれた永平寺の正門左右に石の門柱があります。
そこに刻まれている言葉が杓底一残水、汲流千億人です。

 

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これは、毎朝道元禅師が門前を流れている永平寺川の水を
汲んで仏前にお供えしておりましたが、柄杓の底に残った僅かな水でも捨てず、
ゆっくりと谷川にもどされたと言います。
この道元禅師の行いを見て、このように後世の人が表したと言われています。
つまり、それがたとえ自分の汲んだ水でも、自分だけが使うのではなく、
少しでも他の人に使っていただくといった心がけが大切といった教えです。

 

「一粒の米、一滴の水をも大切に扱いなさい」「一粒の米でも目の玉を扱うが如く大切に扱えよ」
ということは、一粒の米であっても遍(あまね)くこの世界の真実実体であり、
法界のおおいなる自然の恵みと多くの人の気持ちや想いを致し身心を調え
手を合わせて「いただく」ということです。

 

五観の偈

 

一つには功の多少を計り、かの来処(らいしょ)を量(はか)る。

この一椀の食物は、たとえ一粒のお米、一茎の菜といえども、それが耕作され、
種蒔かれて・・と限りない人々の手を経て、いま自分に与えられていることを思い、
感謝していただきましょう。

 

二つにはおのれか徳行の全欠(ぜんけつ)を忖(はか)って供(く)に応ず。

こうして無限のめぐみによる食物をいただくについては、常に反省を忘れず、
その恵みに値するよう、自己の向上を目指しましょう。

 

三つには心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗とす。

美食に向かえば貪りの心をおこし、粗末な食膳には怒りと不満をいい、
毎日同じ食事にあえば愚痴をこぼす私達の心のゆくえを熟視し、
これらの三毒の迷いを改めましょう。

 

四つにはまさに良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんがためなり。

薬は甘苦によって増減してはいけない。日々の食物は、この生命を支えるためにあり、
美味・不味・好き嫌いの心を離れていただきましょう。

 

五つには成道(じょうどう)のための故に今この食を受く。

食物をいただいてこの身心を支えると共に、一切の生命に感謝し、
自他の向上としあわせを目指し、毎日を大切に生きていきましょう。

 

 

われもまた耕して種をまく 

 

釈尊が、マガダ国のある村に滞在していたときのこと、折しも田に種をおろす農繁期なので、
村人たちはみな多忙をきわめていました。

 

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ある朝、釈尊がいつものように托鉢されるのを見た一人の農夫が
釈尊に近づいて、問いつめます。
「修行者よ、私らはこのように田を耕し、種をまいて食べものをつくっている。
あなたも田を耕し、種をまいて、自分で食糧を得られたらどうか?」
釈尊は、答えられました。
「そなたのように、私も耕し、種をまき、そして食べるものを得ている」
農夫は、釈尊のことばを不思議そうに聞いていたが、さらにこう責めます。
「しかし、私は一度もあなたが田を耕し、種をまくところを見たことがない。
第一あなたは、農具を一つも持っていないではないか。農具もなしで、一体、何が耕せるというのですか」
釈尊は、答えられました。
「私は、あなた方や私の心を耕します。耕すことを怠ると田の土は固くなるだろう。
だから、私は『精進(励んで怠らない)』のスキで、あなた方や私の心の田を耕し、
やわらかくなったあなたの心の田に、『信』の種をまく。
その信の種が成長するにつれて、煩悩という雑草もまたのびていくに違いない。
そこで私は辛抱強く『忍』を重ねて除草のつとめをすすめる。
そして、田に成長する苗に肥料を与えるように、私もまた『智慧』という心のめざめが
早くなる肥料をあなた方の心の田に施肥させていただこう。
すると、先の『信』の種はすくすくと成長し、一切の苦悩から脱することであろう。」

 

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農夫は釈尊もまた、人間精神の荒野を耕して、良き収穫を得ようと努めておられることを
こころから理解した。

 

よい種をまこう

 

 よい種をまこう
 よい種をまけば
 よい花が咲き よい実がみのる
 よい種をたくさんまこう
 地球が 花につつまれ
 みんなのしあわせが たくさんみのるように
 よいたねを もっともっとまこう
 いのちのあるうちに たくさんまいておこう

 

この詩にあるよい種とは仏さまの教えのことを指しています。
仏さまの種 がより多くまかれれば、それだけ平和な世界が
実現するということですね。

 

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あなたの心のなかにも、仏さまの種が宿っています。
その種を家族に人に、隣の人に、地域の人に、多くの人に
差し上げてください。