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2011年6月1日楽法寺だより6月号

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一挨一拶(いちあいいちさつ)

 梅雨の季節がやってまいりました。
この時期はジメジメとして心までがすっきりとしないようです。
そんなときこそ“あいさつ”を交わすことを心がけてみては
いかがですか。
 
挨拶の語源は、禅宗から伝わった言葉で、師匠が弟子と問答を交わして
相手の悟りの深浅試みることを「一挨一拶(いちあいいちさつ)」といい、
挨も拶も本来は押すという意味から転じて、
お互いに言葉を交わす挨拶として広く使われるようになりました。 

けじめのない家庭は、ただ人間の集まりにすぎません。
挨拶はけじめです、そしてけじめは同時に礼儀です。
その一番はじめが「おはよう」の挨拶というわけです。

 明るい家庭には必ず挨拶と礼儀が行われています。

杓底の一残水 流れを汲む千億人

宇宙広しといえども、水が水であり得るのは、どうやら地球だけだそうです。
つまり水は摂氏0度以下では固体の氷となり、100度以上では気体の
水蒸気になってしまいます。
私たちが今飲むことができる水は、摂氏0度から100度の間にある液体である
からこそということになります。

地球より太陽に近い場所にある水星は平均130度、金星では平均330度。
温度では水は水蒸気となってしまって、水は水蒸気となってしまって、
液体の水ではあり得ない。
地球より太陽に遠い火星は一日のうち17度から氷点下73度まで下がるため
やはり液体の水ではあり得ない。
木星は水素のかたまりですから水は存在しない。
まさに水が水であり得て、水が存在するのはわが地球だけなのです。
大自然の恩恵を感謝せずにはおれません。

 永平寺正門門柱の「杓底一残水 汲流千億人」と道元禅師のお言葉が
刻まれています。
 道元禅師は 毎朝仏様にお供えする水を 門前を流れる谷川から
柄杓で汲み取っておられました。
いつも柄杓で汲み取った水を半分だけ谷川に戻されていました。
何もそんなことをしなくても、谷川の水は豊富で、涸れる心配はありません。
しかし、どんなに水が沢山あっても、一滴の水も粗末にしない、柄杓の水を
少し残して川に返せば、その水を下流の多くの人々も、受け止めることが出来る
という教えです。

 同じ川の水を飲んで共に生きるだけではなく、同じ喜びや悲しみを分かち合える
心を磨くためにと、水の存在が私達に示して下さっているのですね。

若苗の成長はやき田んぼかな

 日本で稲作農耕が始まったのは、二万年以上つづいた
縄文時代晩期の紀元前5~4世紀頃と考えられています。

 農家にとって一年の最大のイベントである田植えは、
全国的に6月初旬頃に集中しています。
太陽の黄道上の位置によって季節を区分した二十四節気では、
6月6日から7日頃を「芒種(ほうしゅ)」と呼びます。
芒種とは稲や麦などの芒(のぎ)のある穀物の種のことで、
ここから入梅前の田植えの時期のことを意味するように
なりました。

 二十四節気には季節の移り変わりと生活の営みを一つに
結びつけるという、農耕民族である日本人特有のあり方が
表現されており、村人が共同で行なったかつての田植えには、
単なる農作業という範疇をこえた宗教的な意味合いも
含まれています。

 現在の各地に残る「田植え神事」には、そうした古来からの
名残りを見ることができます。

われもまた耕して種をまく

 釈尊が、マガダ国のある村に滞在していたときのこと、
折しも田に種をおろす農繁期なので、村人たちはみな
多忙をきわめていました。
 
 ある朝、釈尊がいつものように托鉢されるのを見た
一人の農夫が釈尊に近づいて、問いつめます。
 
「修行者よ、私らはこのように田を耕し、種をまいて
食べものをつくっている。あなたも田を耕し、種をまいて、
自分で食糧を得られたらどうか?」

 釈尊は、答えられました。、
「そなたのように、私も耕し、種をまき、
 そして食べるものを得ている」

 農夫は、釈尊のことばを不思議そうに聞いていたが、
さらにこう責めます。

「しかし、私は一度もあなたが田を耕し、種をまくところを見たことがない。
第一あなたは、農具を一つも持っていないではないか。
農具もなしで、一体、何が耕せるというのですか」


 釈尊は、答えられました。
「私は、あなた方や私の心を耕します。耕すことを怠ると
田の土は固くなるだろう。だから、私は『精進
(励んで怠らない)』のスキで、あなた方や私の心の田を耕し、
やわらかくなったあなたの心の田に、『信』の種をまく。
その信の種が成長するにつれて、煩悩という雑草もまた
のびていくに違いない。そこで私は辛抱強く『忍』を重ねて
除草のつとめをすすめる。
そして、田に成長する苗に肥料を与えるように、私もまた
『智慧』という心のめざめが早くなる肥料をあなた方の心の田に
施肥させていただこう。
すると、先の『信』の種はすくすくと成長し、一切の苦悩から
脱することであろう。」

 釈尊のおことばは、どこまでも静かで、その教えが理に
かなっているので、農夫は自分が田畑を耕作して収穫を
得るのと同じように、釈尊もまた、人間精神の荒野を耕して、
良き収穫を得ようと努めておられることをこころから理解した。




 

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