2012年2月1日楽法寺だより2月号
如月やほのかの香る梅一輪
新しい年を迎えて、早一ヶ月が過ぎ節分・立春の季節を迎えました。
まだまだ、厳しい寒さが続いていきますが、この頃から次第に気温は
上昇に向かい、木々も芽吹きはじめ、どことなく春の気配を感じる
時期でもあります。
旧暦2月の異称は「如月(きさらぎ)」といいますが、文献に初めて
現れるのが奈良時代の720年成立の日本書紀で2月の漢字に
キサラギと片仮名で訓が施されているそうです。
キサラギの由来については諸説があり、2月はまだ寒さが
残っているので、衣(きぬ)を更(さら)に重ね着するので「衣更着(きさらぎ)」と
なったという説もあり、草木の芽の張り出す月だから
「草木張月(くさきはりづき)」からきさらぎとなった説、また旧暦2月は
燕(つばめ)がくる時候であるといわれており、昨年の旧暦8月に
雁(かり)がきて、更に燕がやってくる月、すなわち「来更来(きさらぎ)」が
語源だとする説等、様々な説があるそうですが、やはり、日本独特の
豊かな季節感から生じたものなのでしょう。
現在の私たちが忘れかけているものを教え導いてくださるものが、
それぞれの言葉にありそうですね。
節分や家ぬちかがやく夜半の月
節分の豆まきの始まりは、そもそも”追儺(ついな)”あるいは
”鬼やらい”と呼ばれていた儀式で、中国から伝わったとされています。
日本では、慶雲3年(706)諸国に疫病が流行し多くの民が命を
落としました。このため土牛を作って追儺の行事が行われたのが
はじめと言われています。
また、鬼を追い払う鬼やらいの行事は、室町時代
応永年間(1394~1427)のころ疫鬼(えきき)=疫病神(やくびょうがみ)を
追い払う行事として宮中で行なわれていました。
ところが江戸時代になって宮中で廃止になり、反対に庶民の間で広がり、
現在では、豆まきが 節分の夜の中心行事として神社ばかりでなく、
仏教寺院でも広く行なわれるようになったのです。
鬼は外!福は内!
豆まきの言葉は普通は「鬼は外!福は内!」ですが、
各地、各所によって大きく違います。
たとえば、東京の亀戸天神(かめいどてんじん)では、
「鬼は外!」だけを入って、「福は内!」は言いません。
お祓(はら)いといったものは、よくないことだけを身の回りから
追放すればいいのであって、悪を追放した上になおかつ福を招こう
というのはあまりにも虫がよすぎるという考え方です。
その反対が、千葉県の成田山新勝寺(しんしょうじ)=真言宗で、
ここでは「福は内!」だけを連呼して、「鬼は外!」は言いません。
仏教的には、悪事をする鬼はいなくて、みんな福なんだという
考えに立脚(りっきゃく)しています。
また、奈良県の吉野山にある金峯山寺蔵王堂(ざおうどう)では、
「福は内!鬼も内!」と呼び、東京・雑司が谷(ぞうしがや)の
鬼子母神(きしぼじん)では、「鬼は内! 福は内!」と連呼します。
鬼を集めてお経の力をもって改心させるところから鬼を積極的に
招くのです。
さて、あなたはどの言葉を選びますか?
2月15日 釈尊涅槃会
紀元前383年の2月15日は釈尊が入滅した涅槃の日です。
釈尊は悟りを得られてからも一カ所にとどまることなく、80歳で入滅されるまで
説法の旅を続けられておられましたが、クシナガラ城のバッダイ河のほとり
沙羅双樹の中で、頭を北に向け、お顔を西にして横になられました。
真夜中、悲しんでいる弟子や多くの生きとし生けるものに最後の教えを
説かれました。
「いたずらに悲しんではならない。世は皆無常である。生あるものは必ず滅する。
私の肉体は滅びても、説いてきた教えは残る。これから頼るべきものは、
よく調えられた自分自身であり、私が説いた教えである。怠らずに励むがよい。」
と言い残され、そして無常なる命であることを、身をもって示されました。
そのとき、四方の沙羅双樹は悲しみのあまり、真っ白に変じて散ったと
伝えられています。
ねがわくは はなのしたにて はるしなん
そのきさらぎの もちづきのころ 西行
涅槃会や花も涙をそゝぐやと
お釈迦様が涅槃に入られる時の姿を描いたものを涅槃図といいます。
この絵像のなかで、立ち並ぶ沙羅樹の半分が枯れているのは、
釈尊の入滅に樹も悲しみ殉じたものだといわれます。また半分の
沙羅樹が枯れずに青々としているのは、母、摩耶夫人が兜率天(天上界)
から雲に乗って回生の霊薬をもたらされたが、間に合わないので従者に
投下させられた時、樹に引っかかり、
その霊気を感じて蘇生したためといわれています。
沙羅双樹の半分枯れ、半分蘇生した姿を「四枯四栄」といい、
右側の四本は幹・葉ともに黄色または白(鶴林ともいう)で、
枯れる姿をあらわし、左側の四本は、幹・葉とも緑色で青々とした
生気を表しています。葬式で紙華を供えるのは、この「四枯四栄」を
表したものです。
中央に宝床を設け、お釈迦さまが右脇を下にして臥され、それを取りまく
弟子や菩薩、諸天善神から鳥獣昆虫に至るまで、二株に欺き悲しむ様子が
描かれていますが、これは三界一切の生き物を表したもので、仏教が
人間だけを救いの対象としていないところがよく分かります。
旧山門ケヤキ材腕輪念珠申込受付中
旧山門のケヤキ材腕輪念珠申込は平成24年2月末日頃までを目安に、
各地区総代・役員並びに当寺までお申込下さい。
戦国時代(赤松山浄正寺時代)約500年前に小谷城の城門として
使用されていたものと伝えられている歴史あるケヤキ材の腕輪念珠です。
2種類用意しています
本堂に見本がありますのでご覧下さい。
山門ケヤキ材念珠 2,000円
心経入ケヤキ材念珠 3,500円
子や孫の健やかな成長を祈って
この度新しい山門が完成し、鐘楼堂の移転修復が無事終了し、
皆様と共にお祝いの式典を勤めていきます。
このよき日に花を添えていただく稚児を募集いたします。
ぜひこの機会にご参加をいただき、み仏の知恵と慈悲にあやかり、
かわいいお子様方がますますご無事に賢く優しい子に御成長されんことを
祈念致します。
健全成長とご守護を祈願し、一生の記念に残るお稚児さんですので
多くの方々の参加をお待ち申し上げています。
稚児参加料金 金3、500円
応募資格者 0歳~10歳以下
檀信徒にかかわらずどなたでもご参加できます
のでご親戚・ご友人にもお声をかけて下さい。
第2次募集申し込み締切日 平成24年2月28日
詳細並びお申込の場合は、
安永山楽法寺-山門・鐘楼堂落慶法要
並び大祖師講法要に向けて-の冊子の申込用紙にご記入の上
各地区総代・役員並びに当寺までお申込下さい。
かわいい子供達の稚児行列に始まり、山門前で落慶式・鐘楼堂の前で
開眼供養を行い、参加の稚児や皆様と一緒に鐘の撞き初めをします。
法要後には餅まきも予定しています。一生のうち三度稚児に参加すれば
幸せになると言われています。是非この機会にご参加下さい。
2012年1月1日楽法寺だより1月号
新年のご挨拶
新年明けましておめでとうございます。
昨年(2011年)は、春には東日本大震災・福島原発事故にて
甚大な被害が起こり、夏には大型台風が日本列島を襲い多くの
犠牲者が出た年でもありました。
?仏教の根本原理である、諸行無常(この世は絶えず移り変わっていく)
というおしえがありますが、今まで私達は「あなたのいう幸せとは何ですか」
と尋ねられますと、おそらく「健康だし、食べたい物が食べられるし、
住居もあり、着る物も、家具も、電化製品も、人並みに持っているし、
子どもも元気で主人も仕事に頑張っているし、少しは貯えもあるし、
とりたてて不幸でもないから幸せではないか」という答えを返してきました。
しかしながら、これらの幸福感の根底にあるものは、お金であり、
財産であり、家族であり、健康であるというように、わたしたちは絶えず
変化する空ろなものに価値を置いているといえます。
それが目の当たりに崩れ去った姿を拝見した私達だからこそ、
一人一人が幸せの価値観の転換をはかることが大切なことだと
感じています。
新しい年を迎えて、〝仏とは、物持たぬ心なり″という言葉をかみしめ、
物から心へとあるべき真実の道を実践していきたいものです。
本年もどうぞよろしくお願いします。
辰の年をむかえて
今年の干支は辰です。
竜は天に昇り雲を起して雨を降らすという想像上の動物で、
昔から奇瑞の生き物として尊ばれてきました。
「画竜点晴(がりょうてんせい)」という成語は、最後の仕上げが大事であること、
また少し手を加えるだけで全体が引き立つという意味に用いられますが、
これは次の話からきた言葉です。
中国の梁の時代に、今の南京に当たる都に安楽寺という寺があり、ある時、張僧遙と
いう画家が、その寺に壁画を措いて欲しいと頼まれ、竜を描いた。なぜか彼はひとみ
(晴)を画き入れなかったので、不思議に思った人がそのわけをたずねると、
「ひとみを措くと、飛び去るからだ」と答えました。しかし 「そんなバカなことがあるか」と
誰も信じなかったのです。それで、竜の画に晴(ひとみ)を入れると、やがて雷鳴がとどろき、
稲妻が走り、壁が崩れ、竜はたちまち雲に乗って飛び去ってしまった。
いかにも中国の故事らしく壮大な話です。
私たちも「ひとみを描くと雲に乗って昇天するような竜を、胸の中に措いておきたいものです。
お正月は祖霊を迎える日
正月は一年のはじまり、すなわち節目の日であります。
正月には様々な儀式が昔から行われています。
日本では古来、陰暦(旧暦)を用い、元日の朝、家族揃って御膳につき、
餅を食べて加齢します。つまり、各人の生年月日に関係なく、家族や地域社会、
日本人全体が生命の更新を期して来たのです。
従って、正月の行事は各人の誕生祝いも兼ねており、元日に、
「明けましてお目出度う御座います」と視辞を交わすのは、
改歳の祝辞と各人加齢の祝辞を含んでいる行事なのです。
また、正月は神事の代表的行事と現在ではされていますが、
正月に迎える年神・霊は祖霊である先祖だったのです。
意外と思うかもしれませんが、正月は先祖をまつるときでもあったのです。
屠蘇(とそ)の由来
屠蘇は屠蘇散を略した名前で、元旦に服用する延命長寿の
漢方薬です。
普通、山椒・防風・白朮(びゃくじゅつ)・桔梗・桂皮などを砕き、
調合して作ります。
屠蘇は、もと西域(中央アジア)で採れる薬草の名前で、
中国に伝えられたといわれます。
新年に飲む風習は中国からはじまり、日本では嵯峨天皇のころ
(809~23)、元旦に屠蘇(薬酒)を飲みはじめたといわれています。
旧山門ケヤキ材腕輪念珠申込受付中
旧山門のケヤキ材腕輪念珠申込は平成24年1月末日頃までを目安に、
各地区総代・役員並びに当寺までお申込下さい。
戦国時代(赤松山浄正寺時代)約500年前に小谷城の城門として使用されていた
ものと伝えられている歴史あるケヤキ材の腕輪念珠です。2種類用意しています。
本堂に見本がありますのでご覧下さい。
山門ケヤキ材念珠 2,000円
心経入ケヤキ材念珠 3,500円
稚児の募集は1月31日を目安に
この度新しい山門・鐘楼堂の移転修復がが完成し、
4月28日(土)の落慶法要で皆様と共にお祝いの式典を勤めていきます。
このよき日に花を添えていただく稚児を募集いたします。
檀信徒にかかわらずどなたでもご参加できますのでご親戚・ご友人にも
お声をかけて下さい。
稚児参加希望の方は、各地総代・役員様並び当寺までお申込下さい。
申込用紙の、ご質問等がありましたら、ご遠慮なく当寺にお尋ね下さい。
稚児参加料金 3、500円
応募資格者 0歳~10歳以下
2011年12月1日楽法寺だより12月号
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光院矢の如し・・・
光陰矢の如しと言いますが、早いもので今年も
あとわずかになりました。
除夜とは大晦日(12月31日)の夜で、除歳・除夕・
大歳(年)・年越・大つごもりなどともいいます。
年越しとは、しみじみと、往く年を惜しみて送り、新年に
神仏を迎えて寿(ことほ)ぎお祭りする重要な物日(ものび)で
あると示されています。
今年一年を通じて、み仏や神の恵みをありがたく思い、
人だけでなく、山や川また草や木、鳥や獣、およそこの世にありとある
すべての存在が日の光りのように注がれている事に深く感謝し、
ご家族皆様で新たなる節目の日をお迎え下さい。
お正月のこころ
日本では昔、宮中の年中行事として、この夜追健(ついな)が行われ、
宮廷や貴族の間で、除夜の晩に悪鬼を追い払う行事が行われていました。
民間では地方により風習も異なりますが、正月の準備を了え、家族揃って
年越しそばを食べ、一家団欒の時を過ごし、除夜の鐘を聞いて初詣に社寺へ
参拝します。
或いは大晦日の夜、神社の前でかがり火をたき、人々は神社に
龍(こも)り、除夜の鐘を聞いて我が家に帰り、正月の行事にかかります。
大阪地方の商家では、大晦日の夜半に御馳走(高足膳)を、番頭や丁稚に
出し、一年の労を謝す風習があり、酒宴がすんでも寝ずに正月を迎えたといいます。
又、この夜、農家では家人だけでなく、牛馬や農機具にも年をとらせる行事がり、
牛馬舎や農具にもしめ飾りをつけ、鏡餅を供える風習があります。
寺院の正月行事
寺院では元日より三日間「御祈祷札」を須弥壇上に供え、すべての人々の
多幸を祈願し、大般若六百巻を転読したり「理趣分経」を読んでご祈祷します。
また寺院では、お正月のことを「修正会」といって、一年の最初の法要として
檀信徒が集まって盛大におこなわれる場合もあります。
世界の平和と仏法の興隆、檀信徒各家の平安を祈ります。
檀家の各家では、年頭と称して、元日より菩提寺に参拝、
仏前に白米・供餅その他の供物を供えたり、お年賀、お年玉とのしに
布施金を入れ、住職と年賀の挨拶を交わすのが当地方の風習です。
お飾りの意味
①門松
門松は元々、年神(としがみ)の依代(よりしろ)からきたものと
考えられています。
平安時代の延喜年中(901-22)のころ、
惟宗孝言(これむねのたかこと)の正月の詩に、「門を鎖(とざ)し
賢木(さかき)を貞松に換ゆ」という句があり、すでにこの頃からあったことが
わかります。
門松は、多く暮れの二十八日から各家の門前に立てられ、六日の夕方から夜に
かけて取り除かれる習慣があります。
「松の内」という言葉はこれから来たもので、門松が飾られている期間をいいます。
②注連縄
しめなわは、七五三(シメ)飾り、注連縄、四目縄、標縄とも書かれ、元来、
神の存在する浄域を標示するための結界をいいます。
神社 の鳥居に長いしめ縄を張るのはこのためで、悪霊や一切のけがれを
払って寄せ付けない神域であることを表したものです。
その縄を「後久米縄(しりくめなわ)」といい、縄の尻を切り捨てないで、
そのまましめなうという意味です。
民家のしめ飾りは古来、正月行事の中で最も重じられる飾り物で、
神前・床・玄関・門、または屋敷の入口などに飾ります。
古くから農家では、建物の入口・牛馬舎・農機具・井戸・カマド等に飾る習慣が
ありましたが、現在でも自動車や農機具などに飾る家もあります。
それには厄災から身を守って欲しいという願いが込められているようです。
③鏡餅
鏡はもと円い形をしていたので、その形になぞらえて鏡餅といわれます。
鏡は神仏のように曇りのない澄んだ心をあらわします。その心を餅にたくして
神仏への供え物としたのでしょう。
もっとも餅をモチというのは、望月もちづき(満月)の名からきたといわれています。
鏡餅は平安時代にはじまり、元日に餅を食べて歯を固めるという「歯固め」の
祝いの行事から来たといわれています。
地方により鏡餅を六月一日まで保存し、歯固めの餅として食べる風習があります。
また先祖の御霊を表わし、親餅の上に子餅を載せて子孫の繁栄を願うとも
言われています。
正月の意義
正月は一年のはじまり、すなわち節目の日であります。
正月には様々な儀式が昔から行われています。
日本では古来、陰暦(旧暦)を用い、元日の朝、家族揃って視膳につき、
餅を食べて加齢します。つまり、各人の生年月日に関係なく、家族や
地域社会、日本人全体が生命の更新を期して来たのです。
従って、正月の行事は各人の誕生祝いも兼ねており、元日に、
「明けましてお目出度う御座います」と視辞を交わすのは、改歳の祝辞と
各人加齢の祝辞を含んでいる行事なのです。
また、正月は神事の代表的行事と現在ではされていますが、
正月に迎える年神・霊は祖霊である先祖だったのです。
意外と思うかもしれませんが、正月は先祖をまつるときでもあったのです。
年始の挨拶にお越し下さい
お正月には心新たに、まず氏神さま、次に菩提寺(檀那寺)のご本尊さま、
御先祖様がお祀りされています位牌堂で手を合わし、それから思い思いに
神社・仏閣にお詣りして、一家の繁栄、家族の幸福、その他いろんな願いごとをお祈り
します。
有名な神社・仏閣にはお詣りしても、どうしたわけか、近くにある菩提寺(檀那寺)の
ご本尊さまには知らぬ顔をする人があります。
今までお参りした習慣がないので行きにくいと言われる方も、子や孫にご先祖様への
感謝・報恩を伝える意味でも、またご家族の絆をよりいそう深める意味でも、
この機会に私達自身が其の姿を見せるべき大切な行事です。
まずは、いちばん身近でいちばん縁の深い菩提寺にご家族皆様でお参り下さい。
当寺の年始挨拶のしきたり
まず、ご家族で本堂に上がり、本尊様にご挨拶。
次に、位牌堂に入り、ご先祖様の位牌に手を合わせる。
禅堂裏の皇寿観音像にお参りし、長寿のお守りをいただく
最後に、住職と接見し、年頭の挨拶をいたします。
御年賀・御年玉と書かれたのし袋を奉納され
(昔はお米を持参されていましたが、現在は浄財になっています。)
住職から祈祷札、しゃもじ等を受け取ります。
お寺からいただいた祈祷札を仏壇にお祀りし、今年一年の無病息災を
祈念いたしましょう。
旧山門ケヤキ材腕輪念珠申込受付中
旧山門のケヤキ材腕輪念珠申込は平成24年1月末日頃までを目安に、
各地区総代・役員並びに当寺までお申込下さい。
戦国時代(赤松山浄正寺時代)約500年前に小谷城の城門として使用されていた
ものと伝えられている歴史あるケヤキ材の腕輪念珠です。2種類用意しています。
本堂に見本がありますのでご覧下さい。
山門ケヤキ材念珠 2,000円
心経入ケヤキ材念珠 3,500円
稚児の募集は1月31日を目安に
この度新しい山門・鐘楼堂の移転修復がが完成し、
4月28日(土)の落慶法要で皆様と共にお祝いの式典を勤めていきます。
このよき日に花を添えていただく稚児を募集いたします。
檀信徒にかかわらずどなたでもご参加できますのでご親戚・ご友人にも
お声をかけて下さい。
稚児参加希望の方は、各地総代・役員様並び当寺までお申込下さい。
申込用紙の、ご質問等がありましたら、ご遠慮なく当寺にお尋ね下さい。
稚児参加料金 3、500円
応募資格者 0歳~10歳以下
2011年11月4日楽法寺だより11月号
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松影(まつかげ)のくらきは月の明かりなり
朝晩の気温が下がり、四方の山々は露霜をうけてひとしきり
錦繍の彩りを織りなし、月影に映える季節となりました 。
“松影のくらきは月の光なり”という古人の歌がありますが、
松が立っていても暗闇では見ることは出来ませんが、影を浮かび上がらせて、
気づかせてくれるのは光のおかげであります。
私たち自身もまた、自らが気づかなかった利己的な行動や欠点を、
気づかせ照らし出して下さる仏の光の存在を忘れてはなりません。
仏の光は、まんべんなく平等に照らして下さっています。
照らされ導かれることによって我が非に気づき、本来の行くべき道も
見えてくるのかもしれません。
月の光が明るくなるほどに、影もより一層美しく映えるのです。
脚下にある人生の生き方
脚下とは、足下つまり私達が過ごす今この一瞬のことを言っています。
道元禅師の言葉にある 「脚下に有り」とは、一番身近なことを見ることをいい、
人間の生き方が、まさに脚下にあります。
道元禅師は、正治二年(1200)内大臣久我通親の子として生まれ、
若くして唐詩や『左氏伝』(春秋の解釈書、三十巻)を学び、幼くして
両親を亡くし十三歳の時、比叡山の千光房に入り天台座主公円僧正について
天台の奥義を学びました。
ところが、天台教学に大きな疑問を抱くようになり山を下りて圃城寺の公胤を
訪ねました。そこで公胤に「宋に行って禅を学ぶのが最善の法である。」と勧められ、
真実の仏法求めて建仁寺の栄西禅師の下で修行され、栄西の高弟の
明全について大陸禅や会話を学び、貞応二年(1221)24歳の時、明全らと共に
宋に渡りました。
道元は、各地の禅寺を巡って求道を続けているうち天童寺で曹洞宗の如浄禅師に
出会い、如浄禅師の下で苦しい修行に耐えること3年、ついに仏教の神髄である
「仏祖単伝の正法」を見出し、悟りを開いたのです。
5年にわたる修行ののち帰国した道元は建仁寺に入り、如浄禅師から伝えられた
禅の布教活動をし、『普勧坐禅儀』 で坐禅の考え方や坐法を説きました。
道元禅師の説法の集大成で有名な『正法眼蔵』九十五巻を著しました。
道元禅師の純粋な説法は、叡山衆徒(天台衆徒)を刺激したため圧迫を受け、
寛元元年(1243)44歳の時、越前(福井県)に道場を移しました。
越前では、純粋の正法禅を求めて永平寺に隠棲、「釈迦牟尼仏にひとしくして、
ことなることなからん」と究極の理想で説法の最後を結びます。
病が進んだ道元は、永平寺を孤雲懐奘禅師にゆずって上洛し、
建長五年(1253)京の宿で一介の平僧として高潔無比の一生を静かに閉じました。

今日存すれど 明日もと思うことなかれ
死に至りあやうきこと 脚下にあり
祖師講並び皇寿観音像祈祷法要のおしらせ
山門並び鐘楼堂、山門周辺の工事に伴い、
12月15日に行われます祖師講並び皇寿観音像祈祷法要は、
住職並び総代のみ出席の内々で執り行う予定です。
古い塔婆、各種祈祷札・万灯会の献灯蝋燭、掛け軸等の奉納は受け付けています。
12月15日の法要までに本堂前に設置しています奉納箱にお納めください。
祈祷法要時に供養し焼却します。
但し、お位牌・仏壇等は住職にご相談下さい。
ご先祖の供養お済みですか
ご供養は、子や孫にとって御先祖様に御報恩の誠を捧げる大切な行為であります。
本年度の年回忌に当たっている霊位のご供養がまだの各家は、ご確認の上、ご供養下さい。
尚、来年度(平成24年)年回忌に当たっている霊位につきましては、
1月初旬にハガキにてご連絡致します。
山門旧ケヤキ材で観音像が完成
旧山門左右の丸柱2本(ケヤキ材)で作製をお願いしていました
観音像(仏像)が完成しました。
一本彫りのすばらしい技法で、年輪が非常に美しく厳かなお姿の観音様です。
落慶法要にて皆様にご披露いたします。
お稚児さん募集中
この度新しい山門が完成し、鐘楼堂の移転修復が無事終了し、平成24年4月28日には
皆様と共にお祝いの式典を勤めていきます。
このよき日に花を添えていただく稚児を募集いたします。
ぜひこの機会にご参加をいただき、み仏の知恵と慈悲にあやかり、
かわいいお子様方がますますご無事に賢く優しい子に御成長されんことを祈念致します。
健全成長とご守護を祈願し、一生の記念に残るお稚児さんですので多くの
方々の参加をお待ち申し上げています。

稚児参加料金 金3、500円
料金に含まれるもの
(男子)鳥帽子・金襴衣・白衣等一式 念珠 花 お土産 記念写真代
(女子)天 冠・金襴衣・白衣等一式 念珠 花 お土産 記念写真代
応募資格者 0歳~10歳以下
檀信徒にかかわらずどなたでもご参加できます
のでご親戚・ご友人にもお声をかけて下さい。
申し込み締切希望日 平成24年1月31日
稚児参加希望の方は、申込書にご記入の上、各地総代・役員様並び
当寺までお申込下さい。
申込用紙の追加並びご質問等がありましたら、ご遠慮なく当寺にお尋ね下さい。
2011年10月3日楽法寺だより10月号
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月影のいたらぬ里はなかれども・・・・
厳しい暑さも峠を越え、いよいよ澄みきった月が、
美しく輝く時節となってまいりました。
「月影のいたらぬ里はなかれども ながむる人の心にぞすむ」
と詠われたこの意味は
月の光は、広い世界を余すところなく平等に照らし、とどかない
所はないけれども、この清らかな月の光も、家の中で戸を
締めている人には見えないでしょう。
きれいな月だなあと眺める人に、この名月を心に宿すことが
できるのです。
み仏の光明は、常に私達を照らして下さっています。
天地自然や、多くの人々によって生かされている恵みに感謝し、
おかげさまの日暮らしをさせていただくことが大切な生き方
なのでしょう。
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実るほど頭を垂れる稲穂かな
10月に入るとさわやかな秋風が吹き抜け、いよいよ実りの季節が
やってまいりました。
田には黄金色の稲穂が垂れ、一粒一粒の米が自然のよろこびを
歌っているようです。
稲は八十八回の手を経ておいしいお米になると言われていますように、
大自然の太陽や水はもちろんのこと、農家の皆様の尊い汗の働きが
あっての結晶であることに間違いございません。
実るほどにだんだんと稲穂を下げてゆく姿を見ますと、
私たちへの人生訓を無言のうちに示しているようです。
私たちの躰も父母より縁あっていただいいたもの、言うまでもなく
自然の恩恵の中、また父母をはじめ多くの縁に支えられて生かされている命、
今日あることを思います時に決して粗末にしてはならない自分に気づくことが
報恩のはじめなのでしょう。
成長すればするほど感謝の頭を下げたいものです。
心一つで生き方が変わる
こんな言葉があります。
惚れて通えば千里も一里 広い田んぼも一またぎ
これから好きな人に会えるという時には、誰でも、心
がうきうきして、早く会いたい、早く会いたいと、その
恋しい人のことで頭がいっぱいになります。その恋する
心のもつエネルギーは、千里の距離も、ほんの一里に
過ぎなくなってしまいます。広い田んぼも何のその
、ひょいと一またぎで飛び越えてしまうほどです。
恋する心からは、驚くほどのエネルギーが湧いて
きます。
こうして、せっかく、はるばる目指す恋人を訪ねたと
ころが、あいにく留守だった。それを知った瞬間に、こ
うなります。
惚れて通えば千里も一里 逢わで帰ればまた千里
帰りの千里の道のりは、やはりもとの千里に戻ってし
まいます。がっくりして、その大変な距離を、とぼとぼ
と帰らなくてはなりません。千里の道のりは、千里どこ
ろか、二千里にも、三千里にも感じられます。
同じ千里の距離も、心一つで、こんなにも変わってし
まうのです。
現実の人生には、好きなことも、嫌いなこともいっぱ
いあります。
しかし、好きになった時のあのエネルギーで、嫌いなことも
包み込んでしまうほどの意気込みが生れたら、きっと人生が
輝いてくることでしょう。
参道石階段並びに山門工事の状況
現在、参道石階段の工事は順調におこなわれています。
以前あった石階段の角度より、相当緩やかな階段
になっていることがわかります。
山門並び鐘楼堂工事も、秋彼岸万灯会が終わり
本格的に工事が始まりました。
2011年9月1日楽法寺だより9月号
うとうとと 彼岸の法話 ありがたや
厳しい暑さも峠を越え、朝晩が涼しく感じられる季節となりました。
日本では、旧暦9月を長月(ながつき)と呼び、現在では新暦9月の
別名としても用いています。
長月の由来は、夜がようやく長くなる月の意の「夜長月(よながつき)」の
略であるとする説が最も有力です。
この月は菊の花の盛りにあたるため菊月ともいい、また紅葉の季でも
あるため紅葉(もみじ)月、木染(きぞめ)月などの称もあるほか、漢名では
季秋、無射(ぶえき)、玄月(げんげつ)などともいうそうです。
今来むと 言ひしばかりに 長月(ながつき)の
有明(ありあけ)の月を 待ち出(い)でつるかな
9月の夜長、待ち人がくるのををひたすら眠らずに待っているうちに、
夜明けに出る有明の月が出てきてしまいました。
と、『古今集』に素性法師が詠われているように、
何となく人恋しく縁の大切さを感じる季節ともいえますね。
どこからともなく聞こえてくる虫の音や、山夜に映えるおつきさまに
亡きご先祖様を想う一日一日をお過ごしください。
秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数うれば 七種の花
秋に花の咲く草の中から代表的なものを7種選んだものを秋の七草と
言います。
春の七草は、人日の節句(1月7日)の(朝)にその一年の無病息災を
願って食べられるものですが、秋の七草はそれを摘んだり食べたりする
ものではなく、眺めて楽しむもので、秋の野の花が咲き乱れる野原を
「花野」(はなの)といい、花野を散策して短歌や俳句を詠むことが
古来より行われていました。
万葉集の中にも山上憶良が、
「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数うれば 七種の花
萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花」
と詠まれています。
今日彼岸菩提の種をまく日かな
お彼岸という言葉は向こう岸、彼の岸と書いて仏様の世界のことを言います。
その反対の此岸、つまりこちらの岸は私たちの毎日の暮らしの世界を言います。
私達は、日頃、欲ばりの心、怒りや愚かさによって、つまり、
貪・瞋・痴という、三毒の煩悩によって、悩んだり、苦しんだりして、
心安らかな日ぐらしがなかなかできません。
菩提の種をまくとは、煩悩をたちきって、悟りの道へと進むもとに
なる種をまくということです。
よごれたバケツの水をきれいにする方法は、よごれた水をすてて、
新しいきれいな水を注げばよいわけですが、私達の、よごれた心の水は、
一度にとりかえるようにはなかなかいかないものです。 今一つ、
よごれた心の水をきれいにする方法は、よごれた心の水の中に、
少しずつでもきれいな心の水を注ぎ続ければ、だんだんときれいな
心になっていきます。
朝晩、仏様に合掌礼拝し、仏様に感謝の手を合わせることによって
仏様の光をいただくことができ、煩悩によごれた私達の心を、
少しずつでも清らかなものにしてただけるわけです。
先祖を敬い、亡き人を偲ぶ、彼岸のお墓参りの中にも、
この光明をいただくことができます。
おかげさまの感謝の日ぐらしが、菩提の種をまく道でもあります。
到彼岸の六つの菩薩行
草の庵にたちても居てもいのること
われより先に人をわたさん
道元禅師
古くより仏道修行者は、自分がさとりを得ることを求めて
修行に励んでいました。
しかしある時「自分ひとりがさとりを得ても、本当に私は
幸せになれるのだろうか」と、考える修行者が現れました。
辺りを見渡せば、貧困や争い、老いや病、死への恐怖が
人びとにあふれていたのです。
「人びとを置き去りにしてさとりを得ても、私は本当の幸せには
たどり着けない」と、修行者たちは人びとと共に生き、
苦楽を分かち合い、接する全ての人との幸せを自らの幸せとして
いくことを誓いました。
「まわりの人びとの苦しみを救い、安楽を与える生き方を目指したい」
六波羅蜜(ろくはらみつ)の教えは、こうした修行者の願いから
生まれたのです。
六波羅蜜(ろくはらみつ)とは
布施(ふ せ) 物でも心でも喜んで与えます
持戒(じかい) 良い行いをして決して悪い行いはしません
忍辱(にんにく) 苦しみや悲しみに耐え、むやみに腹を立てません
精進(しょうじん) 怠ることなく心を込めて励みます
禅定(ぜんじょう) 落ち着いて、身を調え、息を整えて座ります
智慧(ち え) 仏の道に目覚め、菩薩の正しい判断力を体得します
万灯会に祈りを込めて
古くからお寺は多くの方々が集まる安らぎの場であり、
信仰の場でありました。
今、なくなりつつある古(いにしえ)の縁日の情景、父母や祖父母に
手を引かれてお参りしたお寺・・・
子供から大人までのすべての方が共に、大切なご先祖様の御霊に感謝して、
かけがえのない命の大切さを学んでいく・・・。
その原点に戻って自分自身を見つめ直していていただきたいと
いう思いから、この法要が始まりました。
さあ、ご家族で、お友だち皆様でお寺にお参りください。
秋彼岸万灯会の詳細はこちら
2011年8月1日楽法寺だより8月号
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お盆の期間
亡き人を供養することは、私たち自身を強く励ますことです。
亡き人の幸いを願うとき、私たちの心も満されるはずですから‥
そのように、死者と生者とは、全く異なるものではありません。
生者は死者によって生かされ、亡き人は私たちの願いによって生きる。
亡き人の霊と共に、み仏のいのちに目覚めたいと願い、
その機会を与えられた今に感謝する 、それがお盆のこころです。
昔から日本人が大切にしてきた亡き人との交流の場、お盆。
久しぶりに我が家に帰ってくる御先祖さまをもてなすために、家の内外を清め、
仏壇の前には精霊棚を設け、ご馳走を供えました。13日の夕刻から目印の迎え火を焚き、
なすの牛やきゅうりの馬に乗っていただき、お経を上げて感謝の気持ちを表しました。
そして自分のご先祖さまだけでなく、これまでに費やされてきた多くの尊い犠牲と、
今も支えてくれる多くの存在に感謝してきたのです。
私たちはとても忙しい毎日を過ごしています。そして、古来から培われてきた大切な風習を
忘れてしまいがちです。
だからこそ、この孟蘭盆の季節にふと思い返してみることは必要なことではないでしょうか。
お盆の期間
孟蘭盆の行事が初めて文献にあらわれるのは、『日本書紀』、推古14年(606年)「この年より
初めて寺毎に4月8日、7月15日に設斎せしめき」という一文です。これがわが国における盆会
(「会」とは仏教語で「法要」を意味する)の始まりとされています。
お盆は地方色豊かな行事です。地方では、8月1日を〝盆入り〟と呼び、
「盆路作り」といって精霊の通る道の草刈りなどをします。8月7日を「七日盆」と称して、お墓の
掃除や家のすす払いをし、7日目から12日の間に「花枝折(はなしおり)」といって、
お盆のための草花を野山に探りに行く風習もあります。
盆の行事が「二十日目盆」「八朔盆」などといって、8月20日、9月1日まで続くところも多く、
8月15日を中心として地方ではその期間に長短がままあるのが現状です。
一般には、農作業が一段落する頃の8月13日から16日までの月遅れのお盆、
7月13日から16日の新暦のお盆があります。
関西では月遅れの8月のお盆が多く、関東では7月に行われるところが多いようです。
いずれも15日を中心に、13日(もしくは12日)を「迎え盆」、16日(もしくは15日)を「送り盆」と
いいます。
お盆の過ごし方
家族や親しい人が元気に集い、お仏前に供えられた「ふるさとの昧」を、ご先祖といっしょに堪能して、
人としての正しい信仰の日々を過ごすことは、「行」による大切な供養です。
また、自分が今日までに受けた、数多くの人々のおかげを思い、ご先祖の前で自分の考え方、
生き方に誤りはないかと、静かに反省の時間を持つことが大切です。
短い期間ですがお盆の中で得た、心の安らぎと感激を忘れないで、誰もが仲よく生きていくことを、
ご先祖にお誓いし、永遠に人類が平和で住みよい社会で暮らせるように努めたいものです。
ご先祖さまが精霊棚にいらっしゃる間に、お坊さまをお迎えしてお経を挙げていただきます。
お経は「読」むものではなく、「挙」げるものです。精霊棚の前で挙げていただくので、「お盆の棚経
」または「お盆参り」と呼びます。
百味の飲食を供えてご供養された目連さまの故事にならって、わが家のご先祖さまのみならず、
一切の有縁・無縁の仏さまたちをお坊さまと一緒にご供養いたしましょう。
棚経の準備と心得
まず精霊棚を設けます。精霊棚のないときは、お仏壇をいつものように清浄にしておき、
その前に台を設けて、盆花、盆飾り、盆供を供えましょう。
とくに、お線香立ての香炉の灰の中もきれいにし、ロウソク立てには新しいロウソクを
立てておきます。
お霊膳は必ずお供えしましょう。
菩提寺のお坊さまは、お盆の限られた期間中に全部の檀家と信徒のお家を一軒一軒
訪ねられて、ご回向されます。
お坊さまへの供養は三宝供養の一つ。 飲み物については、次々と何軒ものお家を
回られますので、お飲みにならない場合もあります。
しかし、お出しすること自体が三宝供養となるのです。
お盆は地獄の休日?
正月と盆月の16日は、地獄の釜のふたがあいて、鬼たちの休日になり、
亡者がゆるされる日といわれます。
閣魔の縁日ともいわれ、古くから寺院で閣魔堂の開帳があり、地獄変相図が掛けられるのが
習わしでした。
またこの両日を薮入りの日といい、商家の奉公人は休みをもらって実家に帰り、
親兄弟と、お盆には先祖の墓参やお寺(閣魔堂)に詣り、地獄変相図などを見たわけです。
薮入りは墓参りから来たといわれます。古代、祖先の亡骸は草原や薮の中に多く
埋葬していたが、そのため子孫は一年に一度は生家に帰り、薮を押し分けて先祖の墓に
参ることになった。
それが薮入りの日になったそうです。
?大施食会並び永代供養墓「慈愛」特別供養
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曹洞宗では施食会(せじきえ)といいますが、伝統的に施餓鬼会(せがきえ)または
お施餓鬼(おせがき)としています。
施食会は、有縁の精霊、無縁の精霊に食べものを施し供養する法要です。施食会は
自分のご先祖さま方だけではなく、分け隔てないおおらかな広い心ですべての精霊に
供養する慈悲の真心からなるものです。
お釈迦様から伝わる経文を唱えることによって何百億倍にも膨れ上がった食べ物を、
ありとあらゆる霊に施す法要です。
本堂には、須弥壇(しゅみだん)と向かい合って施食棚が設けられ、「三界萬霊」
すなわち欲界・色界・無色界のありとあらゆる霊に数多くの食事や供え物が施されるのです。
呪文を唱えながら方丈様が次々とお焼香してまいります。
特に初盆を迎えられる施主家は、御親戚一同本堂に参詣して、大切な一時をお過ごし下さい。
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? 引き続き、永代供養墓「慈愛」に入っておられる霊位の特別読込供養を行います。
日時 8月7日(日)
午前11時~ 大施食会法要
引き続き 永代供養墓「慈愛」特別供養
法話
大施食会の詳細はこちら
餓鬼の意味
「餓鬼」という言葉から何を連想するでしょうか。
やせ細った手足、どす黒い風貌、お腹だけが膨らんでいて飢えに苦しんでいる・・
そんなイメージでしょうか。
けれども、元々はあまねく「死せるもの」を意味しました。そして、御先祖さまの霊はもとより、
供養に恵まれないあらゆる霊に施しをしてきたのです。
これは死後世界の話ではありません。餓鬼とは、私たちの生き方なり生活なりを、
仏が言い当て教えようとしている戒めの言葉です。
充分快適で豊かな生活は達成されたのに、それを他人のために使うのではなく、
止めどない欲望を繰り返している現在の私達の姿・・・。
私もあなたも餓鬼として暮らしてませんか。
本当は私たちが救われなければならないのです。
2011年7月1日楽法寺だより7月号
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懺悔の心
7月ともなれば梅雨もようやくあがり、厳しい暑さが
やってまいります。自然の移り変わりは実に早く、
過ぎゆく日々の早さもまた光陰矢の如しです。
私たちは日々の生活の中で知らず知らず
罪を犯しながら暮らしています。
懺悔とは、自分の犯した悪しき行いを告白し、
悔いあらためることをいいます。
お経を唱えるにあたってまず懺悔文を唱えます。
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
私が昔から作りなしてきた悪しき行いは、
むさぼりといかりとおろかさのために、
躰と言葉と意より生じたものです。
そのすべてを今、御仏の前に心から悔い改めます。
自尊心や慢心を捨てて、心静かに我が身を省みるとき、
だれで後ろめたいこと、恥ずかしいことをしたことも、
思ったこともあるのではないでしょうか。
私たちは、この身口意をつかって、毎日を過ごしていますが、
この三つにより知らず知らずに罪を造っているのです。
「自分は正しい」と思っている人ほど、慢心があるので、
この慢心こそ罪つくりのもとになるのです。
よくよく、自分の胸に手をおいて、我が身を顧みる
ことも時には必要なのではないでしょうか。
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棚機のながき思ひもくるしきに・・・
現在、東京地方では七月七日に行われ、
地方によっては一月遅れの八月七日に行われる
七夕の行事にはいくつかの流れがあり、
それらが複合して七夕の習慣ができあがったと
考えられています。
その一つは、牽牛星と織女星が年に一度、
天の川をはさんで出会うというロマンチック
な伝説。この相会する日が七月七日
であるとして、星を祭る行事となりました。
この風習は、女子が手芸に巧みになることを
祈る中国古来のもので、七月七日の夜、
供え物をして、織女星を祭り、裁縫や習字
などの上達を願う行事です。
西行法師も
『棚機のながき思ひもくるしきにこの瀬をかぎれ天の川なみ』
と、詠われています。
盆棚の奥なつかしや親の顔
まもなくお盆の季節がやってまいります。
関東地方は今月、関西地方は8月盆ですが、
大人から幼児まで、家族揃ってお参りして
下さることを切に望んでいます。
お盆を迎えるにあたって、ご家族皆様方で
命のつながりを学んでいただきたいのです。
現在、核家族化が急速に進んでいますが、
一軒の家があれば、自ずとそこには家風というもの
ができます。
艮きにしろ悪しきにしろ、必ずその家独特の家風が
あるものです。
しかし、その家風というものの奥には、御先祖様からの
命のつながりという精神的支柱があるのです。
たとえ新家であっても、その源の御先祖様は
いらっしゃるのです。
自分がいまここにいるということは、そうした
御先祖様からの命のつながりの結果である
ということに気がつき、命の尊さに感謝する。
それがお盆の行事の意義ではないでしょうか。
そして、それを子や孫に伝えていくことが、
親としての大切な役目だと思うのです。
そのためにもまず自分がお参りすることです。
そして、お参りを特定の人の役目にせずに、
家族皆でお参りして下さい。
お盆は家族にとっていい機会です。
お寺のお施食会に、盆棚の飾りやお精霊様の
お迎えやお見送りに、是非家族皆さんでお参りして下さい。
そこに、家族共通の会話が生まれ、きずなが出来、
それが艮き家風となっていくのではないでしょうか。
加西市曹洞宗寺院酷暑托鉢
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? 毎年行われる加西市曹洞宗寺院酷暑托鉢が
8月1日(月)に行われます。
特に本年度は東日本大震災義捐托鉢として下記の通り
修行いたしますのでご案内申し上げます。
住職並びに小僧の和貴(8才)も参加します。
8月1日(月) 8時45分頃~ 福祉会館出発
加西ハイツ周辺~市民会館
9時45分頃~ 市民会館~北条町内
10時30分頃~ 栗田・横尾~福祉会館
小僧の和貴も、冬とは違った厳しさにも負けず、しっかりと
声を出して町内を歩いていきます。
皆様方にはたくさんの御浄財を協力下さいますよう
よろしくお願いいたします。
2011年6月1日楽法寺だより6月号
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一挨一拶(いちあいいちさつ)
梅雨の季節がやってまいりました。
この時期はジメジメとして心までがすっきりとしないようです。
そんなときこそ“あいさつ”を交わすことを心がけてみては
いかがですか。
挨拶の語源は、禅宗から伝わった言葉で、師匠が弟子と問答を交わして
相手の悟りの深浅試みることを「一挨一拶(いちあいいちさつ)」といい、
挨も拶も本来は押すという意味から転じて、
お互いに言葉を交わす挨拶として広く使われるようになりました。
けじめのない家庭は、ただ人間の集まりにすぎません。
挨拶はけじめです、そしてけじめは同時に礼儀です。
その一番はじめが「おはよう」の挨拶というわけです。
明るい家庭には必ず挨拶と礼儀が行われています。
杓底の一残水 流れを汲む千億人
宇宙広しといえども、水が水であり得るのは、どうやら地球だけだそうです。
つまり水は摂氏0度以下では固体の氷となり、100度以上では気体の
水蒸気になってしまいます。
私たちが今飲むことができる水は、摂氏0度から100度の間にある液体である
からこそということになります。

地球より太陽に近い場所にある水星は平均130度、金星では平均330度。
温度では水は水蒸気となってしまって、水は水蒸気となってしまって、
液体の水ではあり得ない。
地球より太陽に遠い火星は一日のうち17度から氷点下73度まで下がるため
やはり液体の水ではあり得ない。
木星は水素のかたまりですから水は存在しない。
まさに水が水であり得て、水が存在するのはわが地球だけなのです。
大自然の恩恵を感謝せずにはおれません。
永平寺正門門柱の「杓底一残水 汲流千億人」と道元禅師のお言葉が
刻まれています。
道元禅師は 毎朝仏様にお供えする水を 門前を流れる谷川から
柄杓で汲み取っておられました。
いつも柄杓で汲み取った水を半分だけ谷川に戻されていました。
何もそんなことをしなくても、谷川の水は豊富で、涸れる心配はありません。
しかし、どんなに水が沢山あっても、一滴の水も粗末にしない、柄杓の水を
少し残して川に返せば、その水を下流の多くの人々も、受け止めることが出来る
という教えです。

同じ川の水を飲んで共に生きるだけではなく、同じ喜びや悲しみを分かち合える
心を磨くためにと、水の存在が私達に示して下さっているのですね。
若苗の成長はやき田んぼかな
日本で稲作農耕が始まったのは、二万年以上つづいた
縄文時代晩期の紀元前5~4世紀頃と考えられています。
農家にとって一年の最大のイベントである田植えは、
全国的に6月初旬頃に集中しています。
太陽の黄道上の位置によって季節を区分した二十四節気では、
6月6日から7日頃を「芒種(ほうしゅ)」と呼びます。
芒種とは稲や麦などの芒(のぎ)のある穀物の種のことで、
ここから入梅前の田植えの時期のことを意味するように
なりました。

二十四節気には季節の移り変わりと生活の営みを一つに
結びつけるという、農耕民族である日本人特有のあり方が
表現されており、村人が共同で行なったかつての田植えには、
単なる農作業という範疇をこえた宗教的な意味合いも
含まれています。
現在の各地に残る「田植え神事」には、そうした古来からの
名残りを見ることができます。
われもまた耕して種をまく
釈尊が、マガダ国のある村に滞在していたときのこと、
折しも田に種をおろす農繁期なので、村人たちはみな
多忙をきわめていました。
ある朝、釈尊がいつものように托鉢されるのを見た
一人の農夫が釈尊に近づいて、問いつめます。
「修行者よ、私らはこのように田を耕し、種をまいて
食べものをつくっている。あなたも田を耕し、種をまいて、
自分で食糧を得られたらどうか?」
釈尊は、答えられました。、
「そなたのように、私も耕し、種をまき、
そして食べるものを得ている」
農夫は、釈尊のことばを不思議そうに聞いていたが、
さらにこう責めます。
「しかし、私は一度もあなたが田を耕し、種をまくところを見たことがない。
第一あなたは、農具を一つも持っていないではないか。
農具もなしで、一体、何が耕せるというのですか」

釈尊は、答えられました。
「私は、あなた方や私の心を耕します。耕すことを怠ると
田の土は固くなるだろう。だから、私は『精進
(励んで怠らない)』のスキで、あなた方や私の心の田を耕し、
やわらかくなったあなたの心の田に、『信』の種をまく。
その信の種が成長するにつれて、煩悩という雑草もまた
のびていくに違いない。そこで私は辛抱強く『忍』を重ねて
除草のつとめをすすめる。
そして、田に成長する苗に肥料を与えるように、私もまた
『智慧』という心のめざめが早くなる肥料をあなた方の心の田に
施肥させていただこう。
すると、先の『信』の種はすくすくと成長し、一切の苦悩から
脱することであろう。」

釈尊のおことばは、どこまでも静かで、その教えが理に
かなっているので、農夫は自分が田畑を耕作して収穫を
得るのと同じように、釈尊もまた、人間精神の荒野を耕して、
良き収穫を得ようと努めておられることをこころから理解した。
2011年4月28日楽法寺だより5月号
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青は藍より出でて藍より青し
野山の色が青々としてくる薫風新緑の季節がやってまいりました。
この季節は身も心もさわやかな気持ちへと導いてくれます。
“青”と言えば、荀子の勧学篇第一に有名な
「青は藍より出でて藍より青し」という言葉がおもいだされます。
勉学を重ねれば教わった先生よりも勝ることが出来るということですが、
これは信仰にも当てはまる言葉です。
親や先祖のまじめな信仰に、私たちがより一層深く受け継ぐ心を
磨くよう発願することが大切なのでしょう。
「財産を継ぐ子はあるが信仰を継ぐ子はいない」とならぬよう、
本当の親孝行を行いたいものです。
三級波高うして魚龍と化す
新緑の空に勢いよく泳いでいる鯉のぼりの姿を見ていますと、
我が子の健やかな成長と出世を祈る親心が感じられます。
鯉のぼりを立てる由来を見ますと、
中国の夏(カ)王朝を開いた“兎”は黄河の氾濫をおさえるため、
黄河上流の龍門山を三段に截っておとして水を排除しました。
その結果、そこに瀑布ができ、多くの魚たちが瀧の下に集まり、
この三段の瀧を登ろうと試み、稀に登りきることができた魚は、
雷火で尾が焼かれ、頭上に角をいただき、たちまち龍と化し、
雲を呼んで昇天したということから、世に立身出世の難関を
『登龍門』とされ、我が国でも江戸時代頃から端午の節句に
鯉のぼりを立てるようになったそうです。
釈尊降誕会 花まつり
花まつりは、仏様の尊い教えをひろめ、苦しみ悩む人々を救おうとした
お釈迦さまの誕生を祝い、かけがえのない生命をいただいた御先祖様に感謝し、
お釈迦さまの智慧と慈悲の教えを信じて生きとし生けるものの命を大切にし、
幸せと平和をめざし、苦しみ悩むこの世の人々を助けてゆく気持ちをあらたに
する法要です。
当寺ではかわいい白象に乗った花見堂を設置していますので、ご家族一同
かわいい誕生仏に甘茶を濯がれ、御先祖様に感謝報恩の御供養をされますことを、
心よりお待ち申し上げております。
花まつりの詳細はこちら
あめつちの中に我あり一人あり
お釈迦様は誕生されるや、東西南北の四方にそれぞれ七歩歩まれ、
右手を挙げて天を左手を下げて地に指し、「天上天下唯我独尊」と言われたと
伝えられています。
「天上天下唯我独尊(唯我ひとり尊し)」は、文字だけを逐って解釈すると
この広い宇宙の中で″私が最も勝れている″という意味です。
しかし、それは仏教的解釈ではありません。
唯我とは、絶対の一人ということです。絶対というのは、いつ、どこでも、
だれもが持っている価値を指します。
独尊とは比類のない尊さ、つまり“ほとけのいのち”のことです。
よって「天上天下唯我独尊」は、果てしなく広いこの宇宙に存在する
すべてのものは、みな、比類のないほとけのいのちを具えているから
尊いのであるとお釈迦様は説いておられるのです。
