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楽法寺だより2月号

東風、氷を解かば、蟄中始めて振るう

 

立春は陰暦の二十四気の一つで、暦の上では今日から春となります。
天文学的には、太陽が黄経315度の点を通過するときをいいます。
この日を年越しと考える風習もあり、このため正月節、歳首月などとも言われています。
また、「春立つ」「春来る」などとともに、春の代表的な季語になっていて、日足が伸び、
この頃から気温は上昇に向かい、木々もしだいに芽吹き始める時節でもあります。

 

 

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立春の季節を迎える時節になると、東から風が吹き始め、厚い氷を解かし、
その気配を感じてか、冬ごもりをしていた虫がごそごそと動き始めます。
その一時一刻一日の移り変わりが今日の生命のはぐくみを示して下さっています。

 

 

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「今、今と、今という間に今ぞなく 今という間に今ぞ過ぎ行く」と言う道家があります。
今,今やろうと思っているこの瞬間に,もう今という時は過ぎ去っている。
歴史は、永遠につづく今の連続であり、それが次の時代を形作っているとも言えます。
私達は、今やらなければならないことをついつい明日に先延ばしをしてしまいがちですが、
しっかりと足元を見て今を大切に歩いていくことが大切なのかも知れません。

 

わがこゑののこれる耳や福は内

 

節分の豆まきの始まりは、そもそも”追儺(ついな)”あるいは
”鬼やらい”と呼ばれていた儀式で、中国から伝わったとされています。
日本では、慶雲3年(706)諸国に疫病が流行し多くの民が命を落としました。
このため土牛を作って追儺の行事が行われたのがはじめと言われています。
また、鬼を追い払う鬼やらいの行事は、室町時代応永年間(1394~1427)のころ
疫鬼(えきき)=疫病神(やくびょうがみ)を追い払う行事として宮中で行なわれていました。
ところが江戸時代になって宮中で廃止になり、反対に庶民の間で広がり、
現在では、豆まきが 節分の夜の中心行事として神社ばかりでなく、
仏教寺院でも広く行なわれるようになったのです。

 

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鬼は外!福は内!

 

豆まきの言葉は普通は「鬼は外!福は内!」ですが、各地、各所によって大きく違います。
①東京の亀戸天神では、「鬼は外!」のみ。
よくないことだけを身の回りから追放すればいいので福を招くことは虫が良すぎるという考え。
②千葉県の成田山新勝寺は「福は内!」のみ。
仏教的には悪事をする鬼はいなくて、みんな福なんだという考え。
③奈良県の金峯山寺蔵王堂は「福は内!鬼も内!」
東京鬼子母神も「鬼は内!福は内!」
鬼を集めてお経の力をもって改心させるところから鬼を積極的に招くという考え。

あなたはどの言葉を選びますか?

 

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涅槃会の嘆のさまざま地を叩き

 

 

紀元前383年の2月15日は釈尊が入滅した涅槃の日です。
釈尊は悟りを得られてからも一カ所にとどまることなく、80歳で入滅されるまで
説法の旅を続けられておられましたが、クシナガラ城のバッダイ河のほとり沙羅双樹の中で
、頭を北に向け、お顔を西にして横になられました。
真夜中、悲しんでいる弟子や多くの生きとし生けるものに最後の教えを説かれました。
「いたずらに悲しんではならない。世は皆無常である。生あるものは必ず滅する。
私の肉体は滅びても、説いてきた教えは残る。これから頼るべきものは、
よく調えられた自分自身であり、私が説いた教えである。怠らずに励むがよい。」と言い残され、
そして無常なる命であることを、身をもって示されました。
そのとき、四方の沙羅双樹は悲しみのあまり、真っ白に変じて散ったと伝えられています。

 

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◆釈迦最後の言葉より◆

 

弟子たちよ、おまえたちは、おのおの、自らを灯火(ともしび)とし、自らをよりどころとせよ、
他を頼りとしてはならない。この法を灯火とし、よりどころとせよ、他の教えをよりどころとしてはならない。
わが身を見ては、その汚れを思って貪(むさぼ)らず、苦しみも楽しみもともに苦しみの
因(もと)であると思ってふけらず、わが心を観(み)ては、その中に「我」はないと思い、
それらに迷ってはならない。

 

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そうすれば、すべての苦しみを断つことができる。わたしがこの世を去った後も、

このように教えを守るならば、これこそわたしのまことの弟子である。
弟子たちよ、今はわたしの最期の時である。しかし、この死は肉体の死であることを忘れてはならない。
肉体は父母より生まれ、食によって保たれるものであるから、病み、傷つき、こわれることはやむを得ない。
仏の本質は肉体ではない。肉体はここに滅びても、さとりは永達に法と道(数えの実践)とに生きている。
だから、わたしの肉体を見る者がわたしを見るのではなく、私の教えを知る者こそわたしを見る。
わたしの亡き後は、わたしの説き遺(のこ)した法がおまえたちの師である。
この法を保ち続けてわたしに仕えるようにするがよい。

 

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お釈迦さまは、人間が煩悩や業や苦の現実から解放される道を示され、
生きることの本来的意味を明らかにしてくださいました。
そのようなお釈迦さまの遺徳に永遠の感謝をささげる為、お寺の本堂では
「仏涅槃図」(ぶつねはんず)を掲げています。是非、ご家族で御参拝下さい。

 

大本山総持寺で50年に一度の大遠忌が行われます

 

遠忌(おんき)とは、祖師や故人の功績を偲んで、亡くなられた後、
長い年月がたってから行う法要のことです。
通例として、50回忌以降、50年毎に行われます。その中でも、永平寺を開かれた道元禅師さまや、
総持寺を開かれた瑩山禅師さまを始め、大本山の発展に深く関わった祖師方の
教えや先達の願いに立ち返り、自らの生き方を見つめなおす節目となる行事・法要のことを、
特に大遠忌(だいおんき)と呼ぶのです。

 

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大本山永平寺では平成12(2000)年に道元禅師ご生誕800年と平成14(2002)年に
750年大遠忌という大きな節目として大遠忌事業を展開しました。
当時101歳の永平寺七十八世宮崎禅師さま(加西市出身)は、大遠忌のテーマを「慕古心」(もこしん)と
なされました。
この度、大本山総持寺では、平成27(2015)年に二祖峨山韶碩禅師650回大遠忌、
平成36(2024)年には太祖瑩山紹瑾禅師700回大遠忌が行われます。
大遠忌のテーマは相承(そうじょう)―大いなる足音がきこえますか―と示されています。

 

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大本山總持寺貫首 江川辰三老師は、
「高祖道元禅師が伝東された正伝の仏法は、御開山太祖瑩山禅師に綿密に相承されました。
相承された正伝のみ教えは、全国の曹洞宗寺院の方丈様方に脈々と受け継がれ、
皆様の心のよりどころとなっています。我々と共に未来に向かって相承していかなければなりません。
相承の道は報恩の道であります。
大遠忌奉修にあたり、報恩の思いを一層新たに、宗門を挙げて共々まことを捧げることを冀います。
また、このご勝縁に一人でも多くの方に本山参拝をしていただきますよう、念願いたします。」
とお言葉をいただいています。
その足音に耳を澄ますということは、過去に学び、より良き未来を築くことなのです。
大遠忌を良縁として、皆様のこころにも”大いなる足音”が響き渡らんことを念願いたします。

 

◆写経会のご案内◆

 

日時 2 月10 日(月)
午前10時~11時30分迄
場所 大内町公民館

☆3 月の写経会はお休みです!

☆本堂の写経会は、4月12日(土)
午後7時から再開します。

 

◆永代供養墓「慈愛」見学相談会◆

 

日時 3月21日(金)春分の日
午後1時~春彼岸墓前供養
午後2時~午後4時頃
特別見学相談会