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楽法寺だより7月号

 

他は我にあらず・・・

 7月ともなれば梅雨もようやくあがり、厳しい暑さが
やってまいります。自然の移り変わりは実に早く、
過ぎゆく日々の早さもまた光陰矢の如しです。

 禅の言葉に、『他は我にあらず、更に何れの時をか待たん』
という禅語があります。

 道元禅師が中国(宋)の天童山におられたころのことです。
道元禅師はここで師の明全と再会し、ともに修行を励む
日々を過ごすことになりました。
 そうしたある日、斎座(昼食)のあとで東の廊下を通って
超然斎という建物に行く途中、仏殿の前で
典座和尚(修行僧の食事を司る役職)が茸を
干しているのに出会います。

 竹の杖を持ち、頭に笠もかぶっていません。
太陽の日射しは強く、敷瓦が焼けつくようでした。
 典座は、汗がしたたり落ち、すこし苦しそうですが
精をだして懸命に茸を干しています。
背骨は弓のように曲がり、眉は鶴のように
真っ白な老人です。

 そこで道元は声をかけます。

 道元「おいくつになられますか」

 典座「六十八歳」

 道元「どうして行者や人足を使わないのですか」

 典座「他人はわたしではない」

 道元「老僧は如法であられます。
     しかし、なぜこの日照りのなかでなさるのですか」

 典座「いまでないなら、いったいいつ干すときがあるのかね」

 道元にはもう次のことばがありませんでした。

 他人の作務は自分の作務ではない、きつい作務も
自分の修行のうち、老体にむち打つ老典座の姿に
道元がことばがなかったのも無理はありません。

亡き人の いますが如し御魂まつり

梅雨の蒸し暑い日が続きますが、あと一ヶ月も致しますと
我が故郷でもお盆の時節がやって来ます。
 私たち日本人は、おめでたいことがあると、
「盆と正月が一緒に来たようだ」と、
よく言ったりします。また、お正月とお盆の時期には、
ほとんどの人が仕事を休みます。まさにお盆とお正月は、
私たちにとって最大の年中行事です。
 古来、わが国では、1年を二分して、旧暦のお正月と
7月をその始まりと考えていました。さらに、中国前漢時代の一年を
三分する、上元(1月15日小正月)・中元(7月15日)・下元(10月15日)の
道教思想が伝来して、中元にあたる7月15日が一年後半の
始まりとして、お正月と同じ御魂まつりの日とされたのです。

お盆を迎えるにあたって・・

 お仏壇はお寺の延長だともいわれています。お寺の中心である本堂には、
それぞれのご本尊が須弥壇(しゅみだん)にまつられています。
その須弥壇の名は、仏教の世界観でいう、世界の中心にそびえ立つ
想像の山「須弥山」(しゅみせん)からきているのです。
 お寺の本堂にあるお花、供物、灯明、これらのすべてが
小型化されたものが、お仏壇なのです。
 お仏壇をお飾りすることを、荘厳するといいます。
「信は荘厳より始まるという言葉があるように、仏さまに出会うには、
このようなおまつりの仕方が必要であるとの長い経験の積み重ねによって、
荘厳のルールが決められてきました。
面倒がらず温故知新(古きを訪ねて新しきを知る)、信仰における
先輩たちのあとかたに習って、まず忠実に始めることです。

お仏壇に本尊様を安置していますか

 曹洞宗では本尊=釈迦牟尼仏として歴史上実在のお釈迦さまをご本尊に仰ぎます。
向かって本尊の右に高祖承陽大師(こうそじょうようだいし)大本山永平寺開祖、
左に太祖常済大師(たいそじょうさいだいし)大本山総持寺開祖を配して
、「一仏両祖」いちぶつりょうそとしておまつりします。
一仏両祖を一本とした掛軸もあります。

五供のお供えの基本 

お仏壇は家具ではありません。いわば、家の中の小さなお寺であり、
仏教の心を学ぶ道場です。
 枯れた花や古くなったお供え物、マッチの燃えかすなどを
置かないように注意します。いつも清浄さを保つようにしましょう。
 荘厳には、お供えする供物とそのための仏具が必要です。
最も基本となるのはお香、お花とお灯明のお供えです。
さらに、お仏飯にお水を加えて「五供(ごぐ)」と称しています。
五供がお供えの基本です。

①お香(お線香)
②お花(供花)
③お灯明
④お仏飯(菓子などの供え物)
⑤お水(浄水)

加西市曹洞宗寺院酷暑托鉢

 毎年行われる加西市曹洞宗寺院酷暑托鉢が
8月1日(水)に行われます。
特に本年度は東日本大震災義捐托鉢として下記の通り
修行いたしますのでご案内申し上げます。
 住職並びに小僧の和貴(9才)も参加します。

8月1日(水) 8時45分頃~ 福祉会館出発
                   加西ハイツ周辺~市民会館
         9時45分頃~ 市民会館~北条町内
        10時30分頃~ 栗田・横尾~福祉会館
                
 小僧の和貴も、冬とは違った厳しさにも負けず、しっかりと
声を出して町内を歩いていきます。
 皆様方にはたくさんの御浄財を協力下さいますよう
よろしくお願いいたします。

大施食会並び永代供養墓「慈愛」特別供養

 曹洞宗では施食会(せじきえ)といいますが、伝統的に施餓鬼会(せがきえ)または
お施餓鬼(おせがき)としています。
 施食会は、有縁の精霊、無縁の精霊に食べものを施し供養する法要です。施食会は
自分のご先祖さま方だけではなく、分け隔てないおおらかな広い心ですべての精霊に
供養する慈悲の真心からなるものです。
 お釈迦様から伝わる経文を唱えることによって何百億倍にも膨れ上がった食べ物を、
ありとあらゆる霊に施す法要です。
 本堂には、須弥壇(しゅみだん)と向かい合って施食棚が設けられ、「三界萬霊」
すなわち欲界・色界・無色界のありとあらゆる霊に数多くの食事や供え物が施されるのです。
 呪文を唱えながら方丈様が次々とお焼香してまいります。
 特に初盆を迎えられる施主家は、御親戚一同本堂に参詣して、大切な一時をお過ごし下さい。

 引き続き、永代供養墓「慈愛」に入っておられる霊位の特別読込供養を行います。

   日時 8月7日(火)  
       午前11時~ 大施食会法要
       引き続き    永代供養墓「慈愛」特別供養
                法話

餓鬼の意味

「餓鬼」という言葉から何を連想するでしょうか。
 やせ細った手足、どす黒い風貌、お腹だけが膨らんでいて飢えに苦しんでいる・・
そんなイメージでしょうか。
 けれども、元々はあまねく「死せるもの」を意味しました。そして、御先祖さまの霊はもとより、
供養に恵まれないあらゆる霊に施しをしてきたのです。

 これは死後世界の話ではありません。餓鬼とは、私たちの生き方なり生活なりを、
仏が言い当て教えようとしている戒めの言葉です。
 充分快適で豊かな生活は達成されたのに、それを他人のために使うのではなく、
止めどない欲望を繰り返している現在の私達の姿・・・。
 私もあなたも餓鬼として暮らしてませんか。
 本当は私たちが救われなければならないのです。