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楽法寺だより5月号

落慶法要参加の御礼

28日(土)29日(日)の両日とも好天気にも恵まれ、たくさんの檀信徒の皆様が
見守る中、稚児行列に始まり、山門・鐘楼堂落慶法要、弟子和貴得度式・餅まき、
午後から第14世蒼龍俊正大和尚33回忌、翌日には15年に一度の大祖師講法要が
無事円成致しました。
これもひとえに仏祖諸天のご冥護と関係者各位の絶大なるご高援の賜と、
歓喜無量法悦の極みでございます。ここに謹んで厚く御礼申しあげます。

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三級波高うして魚龍と化す

5月5日は、昔から鯉のぼりを立て、武者人形を飾り、
菖蒲湯に入って子供の健やかな成長を願う子供の日です。
鯉のぼりをたてるのは、鯉が出世魚といわれるところから、
子供の立身出世を願う意味であり、武者人形は兜人形を飾ることの
できなかった庶民の間に起こったもので、たくましく育つようにと
いうことであり、菖蒲は薬草なので、病気をしないようにという親の
願いがそれぞれ込められています。
家族が揃うところにお互いの命のつながりが感じられ、
そこに命の大切さを学ぶ場が出来るのではないでしょうか。

5月8日(火)花まつり降誕会

お父さんとお母さんに連れて行ってもらった花祭り。
おじいちゃんやおばあちゃんと一緒にちいさなお釈迦様に甘茶をかけたね。
甘茶をもらってお家の御先祖様にみんなでおまつりしたよ。
皆様にもそんな思い出がありますか・・・。

現在、情操教育の大切さが叫ばれています。
子が親に暴行を加え、さらには殺害に至り、又、親が子を虐待し殺害する
という痛ましい事件が後を絶ちません。
その背景には、命の尊さを教える教育が家庭の中から消えてしまったことが
原因と考えられます。
もう一度私達は原点に戻らなければなりません。
貴方の御先祖様は朝日が昇れば仏様に感謝し、食事をいただくときは
その命を施してくれた生き物に感謝し、働くときにはその身体を生んでくれた
両親に感謝し、夕日が沈む頃には一日無事にお守りいただいた御先祖様に
感謝してこられました。そこには家庭の中で親の後ろ姿から学ぶべき教育がありました。

子供さんと一緒にお参りして下さい。お孫さんと一緒に手を合わせて下さい。
過去に花祭りにお参りした思い出がなかったという方々も、子供さんやお孫さんに
思い出をつくってあげてください。そして、共に命の大切さ尊さを感じてください。

花まつりは、仏様の尊い教えをひろめ、苦しみ悩む人々を救おうとした
お釈迦さまの誕生を祝い、かけがえのない生命をいただいた御先祖様に感謝し、
お釈迦さまの智慧と慈悲の教えを信じて生きとし生けるものの命を大切にし、
幸せと平和をめざし、苦しみ悩むこの世の人々を助けてゆく気持ちを
あらたにする法要です。
当寺ではかわいい白象に乗った花見堂を設置し、一人でも多く参拝され、
かわいい誕生仏に甘茶を濯がれ、御先祖様に感謝報恩の御供養をされますことを、
心よりお待ち申し上げております。

平成24年5月8日(火)

一般花供養   午前9時~ 午後1時頃まで随時
経木塔婆に先祖様の戒名等を書きいれ、本堂内でご供養し
山門横の釈迦堂で水向けの供養をいたします。

 

午前11時から12時頃までは初花特別供養が行われますので、
一般花供養は初花特別供養の中で一緒にご供養致します。

供 養 料   1霊位  1,000円

申込は別紙の用紙をご利用下さい。

お釈迦様の生涯とは

お釈迦さまは、ヒマラヤの南のふもとの部族の首長の子として生を受け、
ゴータマ・シッタルタと名づけられました。父はシュッドダーナ王、
母はマーヤ夫人です。マーヤ夫人は、お釈迦さまを生んですぐに亡くなられ、
マーヤ夫人の妹マハープラジャバティによって養育されました。
シッタルタはヤショーダラという妻をめとり、何不自由なく生活しておられましたが、
病み、傷つき、老いて、終には死んでゆくという人の世に無常を感じられ、
ラーフラという跡継ぎが誕生したのを機に29歳で城を出られました。

そして7年間の苦行ののち、ブッダガヤの菩提樹のもとで、
この世の苦悩から解脱する方法を発見され、「お悟り」を開かれました。
以後、45年にわたって、インド各地を巡り歩き、たくさんの人々に
仏教をお説きになりました。
80歳の時、クシナガラの地で病気になられ、ご自分の得られた
すべての真理を弟子達に伝えて、お亡くなりになりました。

天上天下唯我独尊」(てんじようてんげ ゆいがどくそん)◎

お釈迦さまはお生まれになるとすぐに7歩あゆまれて、
右手を挙げて天を指し、左手を垂れて地を指して、
「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)と唱えられました。
直訳すると私が「天上天下(宇宙の中)」で一番尊いのだ」と釈尊が
独りよがりを申されているように思われますが、そうではありません。
天地の中に、たった一人自分がいる。天地の恵みをうけて生かされ、
生きている一人の我なるがゆえに、大切に一瞬一瞬を生きようという
意味です。